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大阪高等裁判所 昭和27年(ラ)27号 決定 1952年9月27日

抗告人 上原スミ

右代理人弁護士 大西芳雄

相手方 田村甚之助

事件本人 田村常美

主文

本件抗告はこれを棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

抗告代理人は原審判を取消す抗告人を事件本人の親権者と定める旨の審判を求めその抗告の理由は本決定末尾添付の抗告の理由記載の通りである。

よつて按ずるに取寄に係る神戸家庭裁判所豊岡支部昭和二十四年(家)第三四六号親権者指定審判申立事件の記録によると抗告人は昭和十八年五月相手方と結婚し(同年十月八日婚姻届出)昭和十九年○月○○日同人との間に事件本人常美を産んだが昭和二十一年三月二十六日協議離婚をなし事件本人の親権者を定めるにつき双方の協議が調わなかつたので抗告人は昭和二十四年六月二十九日神戸家庭裁判所豊岡支部に親権者指定の申立をなし同裁判所は同年七月二十三日事件本人の親権者を抗告人とする旨の審判をなし、これに対し相手方が大阪高等裁判所に抗告をなし同裁判所は同年十一月八日原審判を取消し事件本人の親権者を相手方と決める旨の決定をなしこれに対し抗告人において最高裁判所に再抗告をなしたが昭和二十五年二月二十三日抗告却下の決定がなされ右裁判が確定したことが明らかである。しかして右取寄記録並びに本件記録によると相手方はさきに先妻よねとの間に長男正之と二男達也を儲けたがよねが死亡し達也はよねの実家で養育せられ相手方は正之と二人で暮していたが前記の如く抗告人と婚姻しその間に事件本人常美が出生したが双方の性格の相違から円満を欠き協議離婚をなし昭和二十一年五月相手方において事件本人を引取りこれを養育していたが同年八月現在の妻利枝を迎え(同年十一月一日婚姻届出)同女との間に昭和二十三年八月九日二女房子、昭和二十四年五月二十九日三男信夫、前記裁判確定後昭和二十六年にさらに一子を儲けたものであるところ、相手方は国鉄に勤務し諸所に転勤し国鉄○○駅助役から昭和二十六年十月国鉄○○駅助役に転勤し現在に至り、月収約一万五千円を得同駅の官舎に夫婦並びに子供五人と居住しているが、子煩悩で本件本人等子女を愛育し妻利枝も愛情に富んだ優しい女で、幼少の実子三人をかかえ多忙であるが慈愛を以てよく事件本人等子女の養育に当り、事件本人も同女に懐き慕つて小学校に通学して居り、夫婦仲良く子女等は相睦まじく円満な家庭生活を営んでいる事実並びに一方抗告人はその弟と共に田畑約一町歩を耕作して農業を営んでいる父の許にあつて居村村役場の保健婦並びに助産婦として働き月収約一万円を得て生活し、再婚の意思なく日夜相手方の許にある事件本人常美のことを思いこれを膝下に引取り養育することを念願して暮している事実を認めることができる。してみると右の如き事情の下にある事件にあつては相手方の事件本人常美に対する親権行使に何等不当の点なく、事件本人は現在相手方の許に相手方夫婦の慈愛の下に異母兄弟妹と共に仲よく幸福に生活しているものであるから、親権者を抗告人に変更すべき何等の事由はないと認めるのが相当である。なるほど抗告人主張の如く相手方においてはしばしば転勤し、勤務地を変更していることは本件記録上明らかであつて、右は子女の教育上好ましいことでないことは明瞭であるが、これは相手方の勤務の都合上止むを得ないところであり、又本件記録上相手方現在の○○駅助役の官舎が六畳三間、板の間玄関二畳一間、台所二畳半の建物であり、抗告人の現在家屋がこれより広いことは明らかであるけれども、相手方の右住居がその家族七人の生活に狭きにすぎ事件本人の教育の妨げとなるものと云うを得ず、しかして抗告人主張の如く子がその実母の膝下にあつてその慈愛の下に養育されることが望ましいことは言を俟たないところであるけれども、抗告人が相手方と協議離婚し事件本人が相手方夫婦の慈愛の下に異母兄弟妹等と仲よく幸福な家庭生活を営んでいること前認定の通りであるから、事件本人が継母に育てられていることは止むを得ないところであり、又事件本人をその膝下に愛育し得ない抗告人の苦痛は察するに余りあるけれども、相手方と協議離婚した抗告人としてはこれを忍受するの外はないのであつて、右の如き諸事由はいまだ事件本人の親権者を抗告人に変更するの事由となすに足らない。よつて抗告人の本件抗告は理由がないからこれを棄却し抗告費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し主文の通り決定する。

抗告の理由

一、事実並に申立後の当事者双方の事情の変化は原審判摘示の通りである。但し相手方が官舎、薪炭費、電燈、運賃等無料で従つて実収二万円を超えると云う点は疑問である。

二、原審判は事件本人が現在幸福に生活しているのであるから、親権者を抗告人に変更すれば、子供にとつて不利益な結果になると判示するが、それは理由なく根拠薄弱である。原審判は外面的な事情のみを考慮して――外面的な事情だけでも事件本人を抗告人が育てる方が子供にとつて幸福であるが――事件本人及び相手方家庭内の心理的事情を考慮していない。

三、原審判は、相手方が勤務先を転々し住居地を短期間にしばしば変えることは、子供の養育上決して好ましいことではないと認めながら、公務員である以上総ての者が忍受するところであるとして、相手方に不利な理由として取あげていないが、本件の場合重要なことは、公務員がその居住地を転々することの善し悪しの一般的な問題ではなくて、子供の居住地がそれにつれて転々するのと、居住地を変更しないで一箇所に落付くのとどちらが子供にとつて幸福かという比較の問題である。相手方は最近三、四年の間に五回もその居住地を変更している上に、その勤務の性質上将来もこの割合で勤務地を変更するものと予想しなければならない。事件本人は今までとちがつて小学校に就学している。従つて相手方の勤務先の変る度毎に子供は違つた小学校に転校しなければならない。

これは子供の養育にとつて不都合なことは公知の事実である。之に反し抗告人がその居住地を将来変更することはまず予想されていない。この点からみても事件本人は抗告人に養育させる方が有利である。

四、原審判は又相手方現在の住居が七人暮しでは決して充分の広さでないことを認めながら、狭きに過ぎるとは思はれないとしている。しかしこの点もまた一般的に七人暮しで広いか狭いかの判断の問題ではなくて抗告人の住居と相手方のとどちらが広いかの比較の問題であるべきである。抗告人の住居は階下八畳四室、階上八畳二室、六畳二室であつて、相手方のそれに比して比較にならぬ程広いことは争のないことである。子供の健康上また教育上抗告人の住居の方が有利であることは疑を容れない。

五、原審判は当事者双方の外部的、物質的事情だけを考慮して判断しているが、子供の幸福にとつて最も重要なことは精神上、又は心理上の環境であることは多言を要しない。一般的に云つて子供が、特に女児が、継母に育てられるよりも実母の膝下に在つて育てられる方が幸福なことは云うまでもないことである。

殊に本件の場合は、相手方は勤務の関係上一日の殆んど大部分はその住居におらず、事件本人は殆んど継母利枝の手によつて育てられておるのである。利枝には実子三人あり、しかも全部手のかかる幼児ばかりである。事件本人の養育に気をくばる余裕があまり無いことは容易に推知し得るところである。

加之、継母利枝の事件本人に対する愛情は純粋のものではない。利枝自身が抗告人に語つた如く、利枝は相手方の自分に対する愛情が失はれることをおそれて事件本人を愛するという、謂わば手段としての愛情である。この様な情況の下に於て事件本人が実母に育てられるよりも、継母に育てられる方が幸福であるとはどうして判断できるのであろうか。

六、子供の親権者を定めるについて最も決定的な考慮は子供自身の幸福であることは勿論であるが、親たる当事者の心情もまた之を無視することは出来ない。仮りに事件本人を抗告人が育てることになつても、相手方はなお四人の実子を手許において育てることが出来るのであるから、相手方の之によつて受ける精神的打撃は比較的少ないのに反して、抗告人は事件本人を生涯の唯一の希望として生きており、わが子と晴れて親子の生活が出来るのを生命をかけての希望としておるのであるから、若し抗告人がその希望をうばわれることにでもなれば、抗告人は生命の支柱を失うにも等しい。相手方妻利枝は事件本人が抗告人を母と呼ぶことを禁ずるのみならず、抗告人がわが子に会いに行くことをも禁ずるのである。抗告人はたとえ本抗告が容れられず事件本人を手許に引取つて育てることが出来なくとも、抗告人が事件本人に会いに行つたときに利枝が快く子供に会わしてくれさえすれば、それで満足するとさえ言つているのである。実母がその子に対する愛情のほども察せらるべきである。

七、以上述べた如く、原審判は本件の外部的事情に対する判断に誤謬があり、その精神的事情に対して判断を欠いており、失当である。何れの事情よりするも、親権者を抗告人と定める方が事件本人にとつて幸福であると信ずる。

よつて抗告の趣旨の如く御決定あり広く本申立に及ぶ次第である。

以上

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